今日はエア読書会に参加してきました。エア読書会とは実際には存在しない本のタイトルだけが与えられ、 あたかもその本を読んできたかのように話す読書会
今回のタイトルは第一回目にふさわしく、"空気(エア)2.0"。当日くじを引いて自分が担当する章が決まるのですが、私は最後の章に当たってしまってかなりドキドキでした
前の章で述べられたことを打ち消さない形で話を展開していかないといけないので普段の読書会より頭も使うしハードです
その分、みんなで一つの本を作り上げる楽しさがありました
実在しない"空気2.0"について何を話してもOKなルールですが、私はその下敷きとなる本、山本七平著 ”空気の研究”を読んで感じたことをベースに話させていただきました。現代の日本において、至る所で最終決定者は「人ではなく空気」であると断言する山本七平さんですが、そもそも”空気”とは何か?それは、大きな絶対権を持った妖怪のような存在だと述べられています。”善悪という対立概念”では人間を内なる善悪ではなく、善玉と悪玉に規定されると自己が拘束され、マスコミによって拡大され全員が拘束されるとそれは支配になるという。この部分から私はテロリストを絶対的な悪としてイラク戦争へと突入したアメリカを思い起こしました。同時多発テロの映像を何度も見さされることで、何となく復讐攻撃が正当化される”空気”が湧いた。最終的にはイラクで大量破壊兵器など見つからず、戦争に賛成した国は責任が責問われようとも、”あの時はそういう空気だったからしょうがない”と言わんばかり。そう考えると今や”空気”の支配はもはや日本だけでなく世界にも及んでいると考えられます。
山本七平さんは”空気の決定”はこれからも我々を拘束し続け、太平洋戦争へ導いた時と同じ運命に我々を追い込むかもしれぬ、と懸念を抱かれてますが、まさしくそれは当たっていると思います。2005年の郵政選挙では当時の小泉首相の”敵か見方か”という対立概念が打ち出され、空気の支配によって完全に動かされた。相変わらず、一つのデータ、現象、事件によって日本はすぐ”何かの力”がはたらいている。
今も私たちは空気が支配する虚構の世界を生きており、ネットの普及によって、その虚構の世界はネットの社会にまで広がったと言えるのではないでしょうか。ネット上ではリンチに変わって炎上が伴うようになったし、3.11の震災では一気に”自粛”という空気が広がり、ネット上での言論でも自由が奪われ、神経を尖らせることとなった。
現代社会において、山本七平さんの時代よりグローバル化が進み、虚構の世界がネット上にも広がったことで、空気の支配はより拡大している。私は”空気2.0"でそう締めくくらせていただきました。前の章で述べられていたこととのリンクがやや固辞付けになってしまった感があり、自分自身のプレゼンに反省点はあるものの、とても楽しかったエア読書会。また参加したいと思います