イスラエルへ行ってから気になり続けている”ユダヤ人”という存在。ラビの格好をしてイスラエルの街を歩くユダヤ人たちを見ていると、”何でこの人たちは長い歴史の中で迫害されてきたのだろう?”、”この集団が醸し出す独特の不思議な雰囲気は一体どこから??”といった疑問が湧いてきました。そもそも”ユダヤ人”って誰のことを指しているのだろう?ユダヤ人の母体から生まれた子がユダヤ人と言われたり、政治的、文化的、宗教的に説明される場合もありますが、それでは数々の疑問がどうも納得いきません。
そこで読んだこちらの内田樹さん著”私家版・ユダヤ文化論”。初っぱなから”「ユダヤ人」というのは日本語の既存の語彙には対応するものが存在しない概念である”と書かれていて、著者曰く、ユダヤ人とは反ユダヤ主義によって造られたものであり、イスラエルの息子たちを結びつけているのは、その過去でも、その宗教でも、その土地でもなく、彼らが共有する「状況」とのこと。そこに存在しない社会集団に対する幻想的な同一化と恐怖によってつくられたものだと。。反ユダヤ主義者はユダヤ人をあまりに激しく欲望していたから、欲するが故に殺意を抱くという考えについてはその象徴たるものがまさしくヒットラーではないかと感じました。
何故そんなにユダヤ人は欲され、我々に”知性”を感じさせるのか?著者によると、それはユダヤ人の時間のとらえ方が非ユダヤ人と逆になっているからで、ユダヤ人の頭の中では時間は未来から過去に向けて流れている。そんなこと言われてもわけがわからなくなってしまいますが、私たちが生まれてこの方、疑問に思ったこともない”当たり前”のことが逆と急に言われても想像するのが難しい。。
この本を読んで何がわかったかと言うと、ユダヤ人について語ることは予想を遥かに上回るスケールの話で私の理解は到底及びつかない。ということくらい。。でも自分の想像を越える世界が存在しているらしい、とわかっただけでもまた世界が広がった気がします。