最近NY同時多発テロで犠牲になったワールドトレードセンター跡地近くにモスクを建設することが議論を巻き起こしていて、違和感を感じてなりません。。
イスラム教徒過激派がオサマ・ビンラディン氏の指示で起こしたテロ事件ということになっているものの、いろんな説が飛び交い、未だ真実は煙に巻かれたまま。宗教戦争ではなく、宗教が利用されている戦争が未だ続いている。9年前、NYで事件が起きた時、それまで全く興味もなかった”イスラム”を衝撃的な形で頭に焼きつけられ、その印象を取り除くまで時間がかかりましたが、知れば知る程、気づいたのは、偏見と無知の恐ろしさ。テロが起きた時も、"あのおでこの真ん中の点を打ち抜いてやる!”とか、”あいつらはカレー食べてくさい”とか、、それってインド人と勘違いしてない??と思いながら、自信満々で失言する現地の人たちにガッカリすること多々。事件後、マンハッタンには疲れた、、とヨレヨレになって滞在していたNY郊外のスーパーで買い物していた所、子どもたちに石を投げられ、”ウソーー!?”と思うも、明らかに私に向かって投げている。”何で私が??”と泣きそうになりましたが、お金持ちのユダヤ系が多い白人地区では外国人は私くらいで、子どもたちの目には私はイスラム教のインドネシア人かマレーシア人にでも見えたのかもしれません。(その場からソソクサと撤退したので真意はわかりませんが。。)今回のモスク論争でまた関係ない人たちが苛められるケースが出てくるのではないかと思うと議論自体、早く収拾してほしいです。
9.11体験で学んだことは、戦争はそれを利用しようとしている人たちが、無知な人たちを操っているということ。恐ろしいのは偏見と無知。
犠牲者の遺族の方の気持ちを考えろ!という意見も聞こえてきそうで、確かに犠牲になった人たちは怒りを向ける矛先がないとやっていけないかもしれない。でも矛先はモスクじゃないと思う。議論してるヒマがあったら相手の地に出向くべき。そしたらきっと自分がいかに未知で偏見に満ちていたかに気づくはず。