久々、田口ランディさんの本が読みたくなって手に取ったこちらの”生きなおすのにもってこいの日”は、自殺、死刑、バラバラ殺人、放火、原爆、戦争、ひきこもり等々、朝の通勤途中に読むにはかなり重いテーマについて書かれたエッセイでした。それら社会問題に関わる人々、加害者、被害者それぞれの立場や心理についてランディさんが語られているのを読みながら、普段、ふ〜んと見ているニュース等を頭に浮かべながら、マザーテレサみたいな献身的な人も、バラバラ殺人を犯す人も皆、共通して同じ人間であり、自分自身どちらにでもなりうる存在なんだ、ということを考えさせられました。
印象に残ったのはランディさんが手塚治虫さんの漫画、『火の鳥』について書かれていた箇所↓
”火の鳥の言葉によれば、人はみな因果応報が編み目のように込み入った世界にうまれているそうだ。思いのままに生きているかにみえながら、実は生きることも死ぬことも自分だけの力ではままならぬ。過去まで遡る因縁によって生み落とされ、生まれたあとは自らの撒いた因縁の種によって運命が決まる。身勝手に生きているように見えながら、実はぐちゃぐちゃとからみあった因縁の編み目でがんじがらめになって生きている。”
”因果応報”って私にとって辛い時には一番聞きたくない言葉。ただでさえ自分の身に起きていることを受け入れたくないのに、それが自分のせいだなんて!と完全否定したくなる。でも結局、時が経つにつれてその出来事の重要性についてジワジワ感じられ、それが自分にとって大きな出来事であればあるほど大きな意味をもたらしてくれる気がします。その周期は事柄にもよりますが、私の場合たいてい半年後になんとなく自分の中で腑に落ちて消化できることが多いです。(ランディさんは10年、20年のタイムスケールで見ていないとわからないとおっしゃってますが。。)
マイナスの感情をくぐり抜けてプラスに切り替わる瞬間を味わうと生きててよかったな〜と思います。その感覚を味わうために生きてるのかも、と思うほど。これからも辛いことがあるかもしれない、でもその先にまたプラスに転じる瞬間が待ち受けてると思うと、どんな時も、まぁ人生捨てたもんじゃない、って気になりますね。