日本から香港にtransferされる方のサヨナラパーティー
が今日、六本木の
CERVEZAで行なわれ、ジョインさせていただきました
外国人がほとんどってゆーパーティーに行くと思うこと、それは、”私は日本人!”ってこと
”Hey, ○○!"とか言って人の話にからみ始めるタイミングとか人とのからみ始め方とかビール瓶片手に歩き回って適当に会話に参加してく。。みたいな。う〜ん、私は子供の頃そんなの教わってないから適当に話が分断されてクロスされたりしててもどこに入っていいもんやら・・・って思うこともしばしば
こういうのは言葉の問題うんぬんってことではなく、子供の頃から培ってきたノリ(?)の違いなのかな?って思います。基本テキトーな私にとってはこのテキトーに会話が流れてく感じは後で、”あんなこと言ってしまった・・・”とか思うこともないしラクって言えば楽なのですが、やっぱりじっくり深くゆっくり落ち着いて話したい
だって後にも先にも何も残らないし、なんか寂しい
そう考える私はやっぱり日本人だ!と感じます。。
そんな日本人の私ですが、超ステレオタイプな日本企業で働いてた頃はその縦組織も、女の子がお酒つぐことも、男の人が一気飲みすることも、最後の一本締めも全くもって”意味不明
”と心の中で訴えてたことを思い出しました。。朝の朝礼、社歌斉唱、所感の発表、ラジオ体操・・・どれも非合理的な時間の使い方だと思うし”高度成長期の日本じゃないんだから。。”って感じでとても奇異な光景でした
日本人でありながら”このチョー日本企業って感じの部分が耐えられない!!”って逃げ出したくてしょうがない、ここは収容所??アブグレイブだー!と思い込んでました・・・
じゃぁ外資っぽい部分と日本っぽい部分を混ぜせたとこがちょーどいいんじゃないかと思い、ちょーどそんな感じのとこで働いてたことを思い出しましたが、そこは日本人スタッフからは細かいことばかり言われ、お局様たちからは妬み嫉み僻みで毎日苦痛で、外国人上司はそんなん全く理解できないしガンガンあたってくるし・・・で最悪のサンドイッチ状況にめちゃくちゃでした
(やはり中途半端なくらいなら極端にはしったほうがマシ
)
書き連ねていくとあんなとこもあったな、こんなとこもあったな、で、取り留めなく何書いてるのかわけわからなくなってきますが、組織に属している限り、自分は違う!と思おうとも、そこのカラーに属することは否めなく、また、だからこそ違いを認識することで自分についての新たな発見
もありうるのだと思います。そして発見を組み合わせていって行く末自分の一番心地よい環境を自分で独自で作ればいいのではないかなってそんな気が漠然とします